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セカンドキャリア支援事業

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2017年06月08日 [会員インタビュー]

第7回 会員 坂本眞美さん「看護管理者として仕事の価値を創りながら働き続けました」

NPO法人看護職キャリアサポート 濱田安岐子
インタビューを受けて頂いた方 坂本眞美さん(現国際医療福祉大学福岡看護学部教授、福岡県看護協会理事、高邦会総看護部長)

坂本眞美さんの略歴
福岡県出身、看護学校卒業後、福岡大学病院で看護師として就職、その間、福岡大学を卒業し、福岡大学病院の看護部長就任、その後、国際医療福祉大学で九州地区生涯教育センター設立に従事し、現在は、国際医療福祉大学教授、医療法人高邦会・社会福祉法人高邦会総看護部長、日本手術医学会理事、福岡県看護協会理事に就任、現在に至る。

今回のインタビューは坂本眞美さんにご協力いただきました。坂本さんは、大学教授、看護管理者、学会理事、看護協会理事としてご活躍頂いているスーパーウーマンです。このようなスーパーウーマンになるまでの歩みをお話しいただきました。

不思議なご縁で看護師に

濱田安岐子(以下濱田):まず坂本さんが最初に看護師になろうと思ったことから教えてください!
坂本眞美(以下坂本):私は家庭環境が影響しています。なんか自分で自叙伝書けるぐらいある(笑)。家庭の事情で、私は祖母に育てられました。祖母が母親だと思っていました。
濱田:そうですか。いろいろと複雑なことがあったのですね。
坂本:そうなんです。祖母と一緒に住んでいた対馬には高校がなかった。高校に行こうと思ったら隣の町で下宿しなければならなかった。でも、経済的問題で難しかったのです。当時は、そうすると集団就職しかなかったのね。でも、祖母が私を不憫に思ったのでしょう、京都にいた叔母に頼んで、私を高校に行くために京都に行かせてくれました。しかし、京都では、田舎からポンと行って偏差値の高い進学校の公立高校に受かるようなレベルではない。でも、私学には行けない。何故だか解らないけど、看護師になる事の選択が頭にあり、相談していた担任の先生が紹介してくれた全寮制の国立奈良療養所准看護学院に行きました。
濱田:不思議なご縁ですね。
坂本:そうです。奈良の入試面接時に学院長であった病院長が、2年間で准看看護師になりその後みんな奈良県立奈良高校の定時制で学び、高等看護学校という進学コースに行けるって言って、みんなそういうふうにして看護師になっていると教えられました。
濱田:そのころの看護師の学び方だったのですね。
坂本:そう、そうして看護師になりました。そして、3年働いた間で2年分の学費をためて、兵庫県三田市の進学コースへ入学したら、ちょうど、福岡大学病院が新設となり職員募集をしていたので、奨学金をもらい学費の足しにできました。学校まで採用募集に来てくださった看護部長の人柄や容姿がとてもかっこよく看護部長の話に大学病院に憧れを持ちました。福岡にも帰りたかったしね。新設の大学病院で特別室の病棟に配属されました。とにかく初めはみんなが新人だったから、先輩・後輩もなく、ワイワイとやっていましたよ。生意気だったと思います。子供のころから何となく気が付いたら、どこに行っても姉御のような感じでした(笑)准看護師学校時代も入学・卒業で総代挨拶とかしたのだからか、クラスの数人が先輩に呼び出し事件とかあったみたいですが、先輩たちも私には何も言えなかったみたい(笑)
濱田:学生のころからそんな感じだったのですね!
坂本:小さいころから経済的も苦労したから、精神的にも自立していたと思う。なってしまってから逆にこの仕事がすごく自分に合っていたのだと思います。小さいときから周り人達に私と祖母とが支えられてたり、助けられて生きてきて、今がある。看護の仕事は、その人たちにご恩が返せると思っているんです。
濱田:看護の仕事を通してお世話になった人に恩返しをしているということなのですね。
坂本:そうですね。人は一人で生きてない、やっぱり私が今ここにあるのは、両親の離婚で親には育てられなかったけれど、離婚せずに親元で育っていたら、今の私はどうなっていたかなって…今の私のほうが幸せかもしれないって思えた。ここに来るまでに本当にいろんな人たちに支えられて、私の知らないところで祖母を支えた人もいるだろうし、私が今ここに立っている時もいろんな人たちの支えで生きている。その不特定多数の人にご恩を返すといったら、この看護の仕事はできるんですよ。だから看護から離れない。この仕事をしている理由なのです。

看護を教えてくれたのは患者でした

濱田:そういうことって、いつぐらいに分かったのですか?
坂本:20歳代の時だったと思いますよ。
濱田:早いですね!
坂本:実は特別室で看護をしていた時に、19歳の女の子がスキルス性胃がんで入院してきたんです。そして、1月15日の成人式で20歳になって、1月25日に亡くなったんです。その時、不思議なことがあって、こんなことはないのですけど、その患者さんが明け方亡くなった日の日勤に寝坊してしまった。病棟からの電話で起きて、びっくりして化粧もせずに道具を抱えて病棟に走っていったんです。普通は病棟に化粧道具なんてもっていかないのですけど、急いでいたから。そうしたら、その時にまだエンゼルセットに化粧品とかがなかったのです。女の人が亡くなっても化粧していなかったのです。だけど20歳の女の子だから、化粧してあげたいとみんなで話していたら、「私、持ってきています」ってなって、私の化粧品を使って化粧をしたのです。そうしたら、娘の葬儀に私を出席させてほしいと師長にお父様から依頼があって出席しました。後日お父様からお手紙を頂きました。若くて何も出来ていなかった筈ですが、同じ年代で娘がとても嬉しそうだったと。だから私が来ることによって娘さんが笑顔になり、どれだけ助けられたということが書かれていたのです。
濱田:そうでしたか。存在に助けられていたのでしょうね。
坂本:私は全然意識もしてなくて、そういうふうにご家族が思って下さったっていうことが、今度はそれが私の支えになったのです。看護の「か」の字さえ分かってないときに、「なんで19歳で」「なんでこんな病気なんだろう」とかいろんなことは思いながら、関わっていたのだと思うんですよ。すべてが終わった後、その手紙はずっと大事に持ちながら、「私このままの、私のこの姿勢で仕事を続けていっていいんだ」っていうことに気づきました。
濱田:そういう体験は大事ですね。
坂本:なので、決して辞めたいとも思わなかった。
濱田:患者さんに支えられて看護を継続できたのですね。

生涯看護師として働き続けるためのライフプランです

坂本:そんなふうな気持ちで仕事をしていたから、結婚もせずに生涯看護師をするのかと思っていたのに結婚しましたよ!でもね、夫は、初めは、仕事を辞めてほしいって言ったんです。だから、「申し訳ないけど、仕事か結婚かって言われたら、私はそんなに結婚にものすごくウエイトを置いてるわけじゃないし、あなたと結婚するために仕事を辞めるかって言われたら私は仕事を辞めんよ。結婚よりは仕事を取る!」みたいなことを私は言ったんです。
濱田:かっこいい!
坂本:だから、「ただ、働いてもらわんと困るっていうよりも、辞めたいときにいつでも辞めていいよって言って、仕事させてもらっとってはいかんやろうか」と言ったんです。
濱田:交渉ですね(笑)!
坂本:そうそう。そしたら面目を保ってOKだった。そうしたら結婚も断れないわけで。学生のころ、教務主任が、「看護師という仕事は、結婚をしたから、子どもが生まれたからといって辞める仕事ではありません。資格を持って、ずっと生涯、仕事をする。」言われた。そんな言葉がなんとなく自分では素直に受け取っていたのですね。それからずっと看護師として働いていますよ。嫌われているのかと思うくらいに異動ばかり命じられていました。1年半から3年ぐらいで8カ所異動しました。しかし、材料部と手術部では長く管理をしました。


仕事の価値を創った看護管理の経験

坂本:実は材料部への異動について通常の異動辞令は1か月ぐらい前なのに、材料部の新築移転計画と、物流センター構想の立ち上げ計画などで、半年ぐらい前に内示をもらった。「なんで私が材料部?!」と行くか辞めるか、内示は他言できないし就職後初めての辛く苦しい経験でした。

濱田:大変なことだったのですね。
坂本:そうなのです。そして配属になったら、未開拓域じゃないですか、「心臓外科の師長からサプライの師長!」と少しネガティブにも思いながらのスタートでした。新しい中央材料部の設計もしなければならなかった。でも事務部門が本当によく助けてくれて、全面的に私の考えをバックアップしてくれました。なにも知らない私に施設レイアウトから機器導入まで好きにして良いと任せてもらえた。材料部への異動は私の進むべき道を大きく変化させ、思いもかけない人たちに出会いそして今に繋がった・・・・この異動が無ければ今は無かったかも。
濱田:すべて坂本さんが作ったのですね!
坂本:そしていよいよ材料部へ着任し、作業現場に入るのに作業衣に着替えようとしたら、あちらこちらが破れの補修をされたものばかり、そんな作業衣を来ているスタッフを見て涙が出ました。これではやる気も出ないだろうと、まずは作業着の交換から始めましたよ。
濱田:そうですよね!
坂本:それから、材料部の仕事へのこだわり方として、ケッテルの中のガーゼの向きにも意味があるなど、その理屈を主任が説明してくれた。でも、使用する側の病棟では、なにも考えていなかったことに気づきました。こだわっていても意味がないのなら、意味のあることだけ実施しましょうと、業務を改善していきました。
濱田:私も業務改善大好きです(笑)
坂本:そう(笑)!そして、ユニフォームを変え、この仕事がどれだけ大事かってプライド持ってもらい、福岡大学は材料部が支えているって分かるように、縁の下を支えたいって言ったのです。自分がそこで仕事をする価値をどうつくるかってことを考えないといけない。だって私がここで仕事をして、私にとってここで生き生きと働くためには、私が自分自身でこの仕事の価値を見いださない限りはできないわけだから、それは自分で価値をつくるしかない!
濱田:そういうところが坂本さんの凄さですね!
坂本:たまたまその時、外科病棟の看護師長たちが私の友人たちだったのですね。彼女たちが私の業務改善について支えてくれて、助けてもらったことで、あまり苦労せずに言いたいことを言いながら仕事をしてきた。材料部で多くの人に支えられながら、実現できる仕事を体験しました。そこで、やっとそういうことに気づいたのです。
濱田:いい体験だったのですね。
坂本:そうです。時間管理の改善についての事例です。材料部では「作業を全て終わらせて帰る」というルールがあり、一部の業務に決まった超過勤務がありました。しかし、その作業を明日の朝からやっても支障もなく、一部の人しか出来ないとしていた機械操作も出来る人を増やせばよい。仕事の残し方を考え、資格者を増やし残業0の職場としました。停学になっていた残業代が減るのですが、組織は無駄な時間外労働はさせませんとはっきりと伝えました。
濱田:そういうぶれない指導が必要なのですね。
坂本:そうかもね(笑)看護部長からは、カチッとしすぎている「100%で臨まず隙を作ることも大事だ」って言われたことがありました。アドバイスを受け入れて自分を変えるのは簡単なことではなく、それまでの人生経験も大きく影響していると思うのよ。

第7回
これからの人材育成

濱田:そうなんですね。坂本さんの今後のプランはなにかお考えですか?
坂本:65歳になったので、完全に引いてしまうのは…私もいくら趣味をといったって、毎日趣味で生きていないから(笑)。まずは、67歳にどうするかを考えて、主人も70歳になるので、体の自由がきく間に、私生活で楽しみながらと思ってたんです。ちょうどあと3年で関わってきた病院が10周年になるから、私も総仕上げと思って、その頃までには働いている看護職の一人ひとりにある程度のプライドが築けて、そして自分たちの立ち位置を明確にして明るく楽しく、ワクワク生き生きと、働いてくれる人たちになればいいかなと思ってる。今それの下準備として、みんなにそう思ってもらえるようにしなくちゃと思って。
濱田:いいですね。
坂本:看護師は素直といえば素直な職種なので、そこにこういう自分たちの価値を認めるようなことだとか、自分たちの考え一つでどうでもなるんだよ、みたいな。きついとかじゃなくて、やりがいにつながるようなことを認める、というふうな形の言葉かけをしていくことで楽しく働いていければいいので、戦略的にはそういうふうな役割を果たせたらと今ちょっと狙ってるんですけど。
看護部長を異動させたくて、副部長に「あなたが看護部長でしょ」と言ったら、「とんでもありません」って少し待ってほしいと言われた。「だったらなんで副部長引き受けたの?」って。病院が若いからでしょうね、組織の充実にはある程度の時間はかかる。一気に管理者って育たないから、最初の構築の時は、ポストにそれなりの人を連れてくることはどこでもするけども、どのくらいの時期まで外からの助けを借りて、あとは自分たちで回っていくかを考えるようにしないといけないし、だからここの中で副部長に登用されたら、当然「次は自分だ」と思わんといけないと思ってますが、なかなか…。他から連れてきてたじゃないですかって…。
濱田:責任あるポストに就きたがらないのですね。やりがいを感じられないんじゃないでしょうか。
坂本:「あなた看護部長って何をせんといけんと思ってる?」って、看護部長の仕事は大変じゃなくて、看護部長は責任だけ取って、他の仕事は全部他にさせればいいってね。極端な話、自分が信頼した人がしたことを、何をしてるのかだけは知っていなければならないけど、したことは誰がしようとそうそう大きく変わらないからね。能力無いと思わずにさせるしかないんだよって。
濱田:そうなんですね。自分の上にいる人がすごく楽しそうに見えてないと、なかなかそうなりたいと思えないですよね。
坂本:師長たちが疲弊してしまって、師長自身が憧れの対象になってないと。
濱田:本当…残念ですよね。
坂本:そうなんですよ。みんな他力本願で、自分がしてないのに「人材育成」ができるわけないって。あなたは人に尊敬されてるけど、師長として認められてる? 師長として認められてるのだったら、あなたは自分の代わりを誰だったらできるの? 代わりを探してる? そしてあなたは今ここで何しようと思ってるって。そして、それは今のこの部署でしかできんの、どのくらい居たらできるのって。その後はどうするのってね。そういうことを考えて、それが達成できたら、どこでも他の部署に行っていいのね、行きたい部署はあるの? なかったらどこでもいいね。と伝えて、この仕組みを頭にインプットさせて、だから「自分がずっとここにいたら、あなたの下にいる主任さんは、ずっと師長になれんよね」ぐらいのことを認識してもらわないとね。だから、人材育成って「私の代わりはあの人がいます」って言えさせしたらいいんですよ。
濱田:そうですよね。自分がいなくてもどうにかなる。
坂本:でしょ。だからそれをせずして、人材育成って私はあり得ないと思ってる。
濱田:そうですね。人材育成は、人を育てることなのだけど、看護の質を上げることとか、なんかそんなことを考えてる人いますね。
坂本:看護の質は、自分の看護観を語りもしなかったら伝わらないよね。当然、質が上がるための看護観であらねばならないが、私はこのように看護したいっていうことだけを示しとけば、それを浸透すれば質は上がるでしょう。
濱田:本当ですね。ところで、坂本さんは自分の次は、ちゃんと育ってるんですか。
坂本:今の私の仕事は、私への充て職として出来たポストだから。本当はいなくていいんです。
濱田:でもやる人がいなくなっちゃうでしょ。
坂本:今統括している6つの施設でそれぞれやれるようにと、遠方のグループ組織については、私が自然と退いてあなたが次をやってくれるといいんだけれどねっと、グループの中核病院の看護部長に意図的に言い続けている。
濱田:自然と退いても人は育っているということですよね! 今日はありがとうございました。

インタビューを終えて

フリージア・ナースの会の会員である坂本眞美さんは、現在も現役看護管理者で大活躍です。生涯現役看護師を体現している方だと実感しました。また、坂本さんに教えていただいた、「生き生きと働くためには自分で仕事の価値を創り続ける」という言葉にこれからの看護師のキャリアのキーワードになりそうな予感を感じました。これからも坂本さんには活躍していただきたいと思います!

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