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NPO法人看護職キャリアサポート
セカンドキャリア支援事業

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2018年03月06日 [会員インタビュー]

第8回 会員 石丸美千代さん「人を大事にする看護の原点が管理職としてのキャリア」

NPO法人看護職キャリアサポート 濱田安岐子
インタビューを受けて頂いた方 石丸美千代さん
(福井県看護連盟会長)

石丸美千代さんの略歴
福井県出身、看護専門学校卒業後、福井県立病院に就職、福井県立病院看護部長、福井県看護協会会長を歴任し、平成26年から福井県看護連盟会長就任、現在に至る。

今回のインタビューは石丸美千代さんにご協力いただきました。福井県を愛する石丸さんのポジティブシンキングで、家族と協力しながら働き続け、周囲を温かく巻き込んでいくマネジメントをお話しいただきました。

看護師になったきっかけは担任の先生でした

濱田安岐子(以下濱田):はじめに看護師になろうと思ったきっかけからお話しいただけますか。
石丸美千代(以下石丸):看護専門学校を受験しようと思ったのは、高校の時の担任の女先生の言葉がきっかけでした。進路を決める時に、看護職か警察か・・・ようするに社会的な福祉に貢献できる、給料ももらえるけど社会のために役立つようなお仕事につきたいと思っていたのですが、先生に看護職になりたいと進路相談に行ったとき、一緒に行った同級生は、「あんたはダメだね…」と言われていたが「石丸さんならいいよ」とその一言が、きっかけになった。
濱田:どうしてお友達はだめで石丸さんは良かったのでしょうか?
石丸:どうしてかね…その恩師は今はもう96歳になるけど、今でもお付き合いしていて、会うと「看護師になるきっかけをもらったのは、先生の一言です。」といつも言っています。
濱田:先生は何か根拠があったのですかね。
石丸:なんだろうね、でも、高校のとき、山岳部で山登りしていて、高山病になった女の子がでてね、黒部ダムのトロッコで宇奈月までつきそいして下山したことがあった。ちょっとした看護でもないけど…そういう経験を先生も知っていたのかもしれない。
濱田:その時、どんな感じがしました?
石丸:その時…悪くない、ちゃんと看病できたという気があった。何をしたかは覚えていないけどね。何人か女の子いたけど、山岳部の先生も「石丸!ついてけ」と。そういう経験も高校時代にしていた。親は何にも言わなかった。だけど、私はそういう時に、看護職になりたいと思ったのかも。結果的には、看護職で良かった。そして、福井県立看護専門学校に入学したの。
濱田:学生時代はどのようにお過ごしだったのですか?
石丸:学生時代は勉強をさぼったこともあったけど、頑張って勉強もしました。寮は4人部屋で門限があったけど、先輩が上手に裏から鍵を開けてくれて…沢山遊びました。結構、楽しい3年間でした笑。学校卒業して、県立病院に就職して、39年間ずっと勤めた。福井は県立病院が1つしかなかったので異動もありませんでした。
濱田:新人で就職して、師長になり、部長になりそして看護協会に入り…王道な感じですね。そのことは、ご自身にとってはどんな感覚なのですか?
石丸:その時々で違う大変なことはあるけど、ポジティブに一生懸命していたら、あっという間に定年が来ちゃった…という感じでした。

家族は協力して働き続けることのできる関係です

濱田:39年間で一番大変だったのは、いつ頃のどんな事でしたか?
石丸:ICUの副師長でICU立ち上げのころかな。新人の時は外科・小児科・救急ありの混合病棟でした。そのあと手術室11年・・・青春時代、結婚、出産も手術室勤務のときでした。夫は、妹の結婚式で出会った人でね。そのあとから交際して、その年には結婚したのよ。父と母は一年に二人も結婚したから、両親は大変だっただろうと思うよ。
濱田:手術室の時、結婚・出産もあったのですね。
石丸:昔は当直もあって、夜中の手術はもう一人の看護師を呼んでやったのですよ。当直明けの時は、お母さんと夫で朝病院へこどもを連れてきて、おっぱいあげて、私は勤務。母がタクシーでこどもをつれて家に帰って、夫は病院の近くの会社だったからそのまま出勤して、帰りは残らなくていい日は、夫が車で待っていてくれて一緒に帰っていた。そういう時代でした。
濱田:手術室で師長になったのですか。
石丸:いいえ、手術室ではスタッフでした。ICUの立ち上げの時に異動して副師長になったので大変でした。開設だったから、バケツ一つもなかったからね。立ち上げの前に岡山の病院に1ヶ月くらい、ICUへ研修にもいかせてもらい、楽しかったですよ。ICU勤務は4年間くらいで、その後、外科病棟に異動になりました。楽しかったのが、その外科病棟にいた時ね。創傷処置について教えてくださった真田先生が金沢にいらっしゃって、ストマとか外科系のスキンケアが必要な人の創傷ケア研究会に参加していました。病棟まで業者の人に来てもらい、ベッドサイドで創傷材料の使い方を教わりました。いろいろと楽しんでやっていました。
濱田:一番力を入れて活動していたのはこの時ですか。
石丸:楽しかったのはこの時だったのかも。頑張ったのは、スタッフと一緒に病室へ行って楽しみながら学んだことですね。
濱田:そういう師長さんはスタッフのモデルですよね!みんな師長さんにあこがれていたのではないですか?
石丸:あこがれていたかは、どうかな〜最近の師長さんは管理業務が忙しくて、病室にいけないって聞きますしね。私は師長だったから、夜勤がなかったでしょ、県立病院に当時は看護助手もいなかった。早出も看護師だったから、その人達に毎回、朝ご飯を持って行っていた。おにぎりと漬物…パンも焼いた…「今日は何かな」と、楽しみにしていた看護師もいたみたいね。そんな事が出来た時代は、楽しい良い時代だったのかも。
濱田:職場でそんなにしていたら、お子さんと旦那さんとの時間をとるのも大変ですね。
石丸:旦那さんは、仕事終わってまっすぐ帰る、伝書鳩みたいな人…こどもは、父母がみてくれた。父母が添い寝してくれて、こどもをみてくれていた。
濱田:それは石丸さんにとってよかったことですか?
石丸:よかったんじゃない?福井はそんな感じです。父母が育ててくれて仕事もやれた。
濱田:ご自身のこどもの頃もそんな感じですか。
石丸:自分のこどもの時も親は畑仕事していて、学校から帰るとちゃんとおばあちゃんがいて、ご飯やおやつや美味しいふりかけなんかも作ってくれて面倒をみてくれた。母親がそんなに親らしいことをしなくても、おばあちゃんがしてくれていた。それでよかったのです。
濱田:幸せな感じが伝わってきます〜幸せに育ってくると、仕事も楽しめますね。
石丸:そうね、幸せですよ。看護職も嫌じゃなかったし。「なりたい!」と選んだわけじゃないけど、学校の先生が「まあ、あなたならやれるんじゃない」という一声でなってみて、看護界に入って、無我夢中で11年。ほとんど手術室で過ごしてね。

管理職として大事にしていたこと

濱田:職位が変わるときはどんな感じだったのですか?
石丸:なんとなくいうのよ、上司が「副師長になれ」とか。
濱田:なんとなく?
石丸:何かしながら、上司に「今度、ICU出来るけど、あなた副師長になりなさいね〜」と「えぇ〜わたしが〜自信ないですよ」とか言うと、「研修とかあるから大丈夫よ」とか言って「えっそんな〜」と言ったら、その上司が「あなたがしなくて誰がするんや。ちゃんと受けれ!」と叱って言われたの。それがちょっと頭にこびりついていて、それで受けたんだけど…私も知らないうちにこの言葉、私も部下に言っていたみたい。全然覚えてなかったけど、ある日県立病院の看護部行ったら、次長さんが「石丸元部長に、あなたが受けんで誰が受けるんや!ちゃんと受けなさいと言われた」と。私が先輩に言われたことを、後輩に無意識で言っている。不思議ね。
濱田:部長になった時はどうでしたか?
石丸:部長になる前に、教育担当の次長からはじまるの。いろいろ大変だった。1年前に先に入った同級生の次長がいたので、その人に聞きながらやりました。その後、看護学校の副校長のポストが空いて、その時部長は、その方を看護学校の副校長に選んだ。私は病院に残った。当時、部長面接で聞かれた時「臨床が好き」と答えた。もし、私が学校に行けって言われたら行きましたよ。行ってから考えればいいと思っているから。
濱田:石丸さんは、すごい優しいけど、意外と気が強いですね(笑)
石丸:そうね。事務の人にも石丸さんが、にこっと笑ってなんか話し出すと「怖い」と言われた。にこっと笑って…事務系には困ることを言うってね、後々聞くとね。
濱田:部長時代は、何年間だったのですか?
石丸:部長は4年間でした。部長になる頃には、病院を新しく立てることが決まっていた。1100床あったので、大変だった。電子カルテとかはじめたし、病院の色々なマニュアルから作り始めた。仕事終わってから、みんなで検討したので帰りがものすごく遅かった。部長になっちゃうと、病院をつくるとか、移転するとか、新しく電子カルテ入れたり、ハード面で患者さん目線になっているかなど力を入れたかな。
濱田:一番大事にしたことは、なんですか。
石丸:スタッフ、自分の部下を大事にすること。
濱田:部長さんでスタッフというと、みなさんですね。
石丸:そうね。だから大変なのよ。患者さんは大事にします。部下には厳しいです、ではだめです。患者さんと同じくらいに部下も大切にしてねといっていた。そんな、部下にちゃんとできない人は、患者さんにもできないはず。それは一本通しました。
濱田:同じ人間ですしね。
石丸:仕事上、看護ではできるけど、自分が管理している看護師さんがうつになるような叱り方をしたりしている人は、患者さんにもいい看護は出来ていないんじゃないということをよく言った。
濱田:師長さんの中で、なかなか出来ていない人もいたんではないですか。
石丸:それはいますよね。「やれてます、やれてます」と言ってるけど、やれてないんだろうな…ということはあった。
濱田:そんなときはどうするのですか。
石丸:そういう時は、とことん付き合う。家にまで行って話をしたり…とか。何か苦しんでるのかなと思って話を聴いたり…本人に、話に行くよと言うと「来てください」っていうしね。よく覚えているのは…師長の時代にね、スタッフ同士でケンカする…中堅看護師がいたんですよ。仲直りさせるのに、両方のところに行って、話を聞いた。お互いの言い分があるので、話をそれぞれ聴いて話をしてわかってもらった。仲直りしたよ。
濱田:ケンカの原因はなんだったんですか。
石丸:性格の不一致かな…合わないんでしょう。仕事中にケンカしていたら患者さんにも良くないね。仕事にならんでしょう…ケンカして泣いたりしていたら…原因は教え方の言葉遣いだったり上から目線だったり…時期というより、性格だね。性格は変わらないよ。それに合わせられない後輩が苦労した。その方もそれを我慢できないというか…お互い言うだけ言わせて、話を聴いてそれで解決した。
濱田:今の若い看護師は、仲直りする前に喧嘩にもならずに辞めちゃうことも多いですね。
石丸:あの人がいるから辞めるとか…どっか探すとか…
濱田:そうです。そして、師長さんが関係調整もしないようにも思います。
石丸:あの人のことどう思うのかと聞くと、悪口ばかり。まあ、聞くだけ。だってそう受け止めてるわけだから、聴くだけ聴くと、ちょっとしばらくは収まる。ケンカは繰り返すけど、徐々に間隔も空く…異動もあるしね。私は「余計なお世話」と自分でそう言っていた。
濱田:そういうのが本当は必要なのでしょうか。
石丸:最近は、余計なお世話はしなくなっているのかも。
濱田:ご近所の怖いおばさんとか、いないじゃないですか(笑)
石丸:なるべく、当たり障りのない様に無視しているのかも。
濱田:臨床でも、「えっそうなの」と思っちゃうのですけど、「いやぁ〜その子の人生だからね」みたいにして普通に辞めちゃったりとか、いや、その前になんか聞くことないのかなと思うことも…また、とことん話をしている人は、意外にうつになっちゃうことも…さじ加減が難しい…

看護の原点は在宅看取りでした

濱田:臨床で看護師として楽しく仕事していた自分の存在を今はどんなふうに思っていますか。
石丸:まあ、仕事が楽しくって、その立場になったときには、その立場の仕事が一生懸命にやれたから楽しかったのかなぁと思いますね。
濱田:日々楽しく、それが一番ですね。石丸さんらしいですね(笑)
石丸:苦労を苦労と感じないというか、苦労はあったと思うんだけど…苦労をいろいろ言いなさいと言われても、そんなにしゃべれない。楽しかったことだったら言える感じ。
濱田:苦労というよりは、楽しい中でも、そのものが楽しいだけではなく、いろいろとチャレンジしながらやりがい感とかなのかと思って…
石丸:そう!そうなの!
濱田:そういうエピソードを教えてください。
石丸:救急病棟に勤務していた時のこと。
手術室勤務の時一緒だった看護助手さんが膵がんになったの。大きな手術を県立病院で受けて、その後も入退院しながら治療を続けていたんだけど、大分悪くなって救急病棟に入院してきた。その後、ご主人が最悪の状態になる前に家に連れて帰りたいと言ってきた。患者さんは、食べられなくてIVHしていたのです。その頃、訪問看護なんてなかった。IVHしていたら帰れなかった。だけど、私と主治医、もう一人協力してくれる医師とチームをくみ自宅に帰っていただける事になった。また、その人の近所に住んでる私の知り合いの看護師に協力してもらって点滴交換をしてもらった。だから、今でいう訪問看護みたいなことを始めていた。その後、非常に病状が悪化して再入院して、そのご主人が家にはベットがない、おしっこの管の管理とかもできないし…と言っていて…ご主人…もう自宅へ帰す事に一生懸命だったのです。私らは何もするすべもなかった。私は勤務でないときも、手や身体をさすっていた。そういう看護を一生懸命した。また、協力してくれていた医師も患者さんの手をさすりながら話をしてくれていた。その後、病状が悪くなっていよいよという時、ご主人が「帰りたい」と言った。自家用車に酸素ボンベを乗せ、私も同乗し自宅に帰った。家族やご近所の人などみんな来て自宅で待っていてくれた中で亡くなった。在宅看取りになった。悲しかったことは、いつも来てくれた医師は、酸素ボンベ取りに病院へ行っていてその場に居合わせなかった中での死だったの…。近年看護師さんが看取りを確認できるように制度化しようとしているけど、そんなことが既にありました。一番、看護したという感じがした。看取りをお家でした、ターミナルケアでした。
濱田:ご家族がすごく喜びますよね。看護師は何人かで協力して実現したのですか。
石丸:私の看護学校時代の同級生と協力しながら看護したのです。前例がないことだったけど、何でもやれたってことね。言ってみるべきです。
濱田:本当ですね。
石丸:外科病棟ですい臓がんの方が「カラオケしたい」といったので、外泊ということで、何人かカラオケの好きな看護師で「みててあげるから」といってカラオケにも行きましたよ。
濱田:なんか、医療者と患者との垣根があんまりなくて…同じ人間なんですよね。
石丸:じゃあ、今やれるかといったらやれないかもしれないけれど、私らはやろうと思ったらやっちゃった。
濱田:意外と今はできない理由を探していることが多いかもしれませんね。
石丸:そういう時代の看護を思い出しますね。
濱田:自分の看護の原点がそこにある感じがしますか。
石丸:やっぱり、希望していることで叶えられることは、叶えてあげたい。何としてでも。誰でも巻き込んで。限界と決めるんじゃなくて、看護師ではこれしかできないじゃなくて、じゃあ医者がやればいいじゃないとか、薬剤師に手伝ってもらえばいいじゃないとか…
濱田:そうですよね…すごい。エネルギーを感じます。
石丸:すごくはないけど…思い出です。
濱田:自分でいい看護をしたなぁ…というのがあるって大事ですね。
石丸:いい看護なんて…そんな言葉はあんまり…おこがましい。一生懸命、なんかしたいだろうと思うことを一緒にやった。
濱田:大前提に、相手がどうしたいと思っているかがわかってることは大事ですね。
石丸:だって、患者さんは訴えるしね。目とかで、訴えてくるよ。言葉では言わなくても…何したいか、わかるよね。
濱田:わかります!言いたいことがあるのに、なんか言いたくない感じ。今忙しすぎて、見えなくなっているようにも思います。急性期は特に…どうにかならないかなぁと思いますけどね。
石丸:本当は出来るのかもしれません。

第8回会員インタビュー 写真:石丸家の庭〜ハッサク狩りのあと

連盟会長として

濱田:では、連盟会長として!連盟会長の仕事は、どんなことですか。
石丸:看護協会の要望、施策を実現する。それは政治の力で。看護職の議員さんは4人しかいないけど、他の国会議員さんを巻き込んで、要望を出したらそれを実現するための応援団。その応援は、連盟がするんじゃなくて、連盟会員がする。その意識を高めるのは連盟会長の仕事。
濱田:例えば、看護協会からの要望に石丸さんにとって「違うな」と思う意見が出てくる時はあるのですか?そういうときはどうするのですか。
石丸:ないことはないね。そんな時は、直接言うしかないね。まず、福井の看護協会長に話をするね。
濱田:だとしたら、連盟会長は、看護協会から出てきたものを応援するばかりでないですね。
石丸:ではないですね。連盟から見えたものを協会に伝えることも仕事。看護協会は、看護の質の向上や看護者の教育についてなど、大きいテーマがあってやっているけど、小さいこと、ぼそぼそっと言ってきたことも大事だなぁと思ったら、私らは無視せず言い続けて要望の中に入れて、連盟だったら県会議員さんに話をしに行く。例えば、国の政策をうけて、ただひたすら受けて病棟編成したり、看護師さんを増やしたりして調整した感じがする。7:1基本料なんかも現場の人は矛盾を感じていることもあると思うけど、看護師は、その人にいいと思えば、診療報酬に反映しないことでも一生懸命やっている。今までの積み上げとして、手厚い看護に報酬が付くようになったと受け取れば、看護師さんの代表として発言することで社会に見えるように政策を提案していく。中小病院の人は、大病院の事ばっかりと思うかもしれんけど、意味のあることなのだと思っています。私たちがもっとやらなきゃあかんことは、国会議員や県会議員などに直接話せる機会に、政策をどうにかしてくれとはなかなか言えないかもしれないけど、生の声を届けてそれを覚えていてもらえるよう、感じ取ってもらえないものかなということを感じています。まとめて提案するのは難しいけど、そういうチャンスを作るのが連盟かな…と思っています。
濱田:そうですね。今も連盟はそのように活動していると感じています。
石丸:協会は協会で県からの委託事業などをやらなきゃならないことが沢山あってやっている。連盟の方は、私たちが企画するんじゃなくて、会員の人が企画して、話をしたい気分にしていく…その人たちが「議員さんに企画を見てもらって!」と思えるように、気持ちを高揚させるようなことをしていきたいと思っています。
濱田:一昔まえの政治団体みたいな雰囲気があると、若い人は引くじゃないですか。連盟の研修に行ったら…前に出てうちわとか持って…なんかもうちょっと…おしゃれにできたらいいなと思う。
石丸:そうね、例に挙げると選挙運動ね。私が思っているのは、文明の利器、SNSとか違反じゃないように使いながら、情報を流して活用していくのがいいと思っている。そういうことしないと、気持ちがあっても連盟の活動には入ってこないかなぁ…と思っていすよ。
濱田:最近、フェイスブックなどからも看護師議員さんの活動の様子がわかりますよ。こういうので流れてくると違うなぁ〜と思って。
石丸:そうよね。

これからのキャリアについて

濱田:最後に、今後の看護師としてのキャリアをどのように考えているかお話しいただけますか。
石丸:今は直接患者さんとの会話はないけど、緩和ケア病棟にボランティアでお花行けたり、お茶のサービスをしたりしています。週3日は連盟勤務だから、週1回は続けています。緩和ケア病棟は私の看護の原点です。
濱田:わざわざ緩和ケアと言わなくても看護ですものね。
石丸:そういうことをしながら、ぷつんと切らずに関っていけたらなぁと思っています。
濱田:患者さんに関わるということをやっぱり大事に思っているのですね。
石丸:今でも看護師です。友達とか病気のことで相談を受けたり…看護師は続くのよ。現役じゃなくても看護師として出来ることをやろうと思います。看護師は一生ですよ。資格はなくならないから。あと、他にも病名説明や告知の時とかにパニックになる人について行って、病院で先生の説明を一緒に聞いてあげて、冷静に聞いて説明します。本人が真っ白になっちゃうから、と頼まれてね。それを仕事にしている人「医療メディエーター活動」もいると聞いているけど、私は頼まれたら、ついて行ってあげる。「来てください」っていうより「私、ついて行こうか」と。よそから見たら、余計なお世話っていう感じかもしれないけどね。
濱田:安心でしょうね。大事ですね。現場に戻りたくなりますか?
石丸:もういいかな、現場は体力が必要です(笑)
濱田:現場も看護師も日々進化しますね! 今日はありがとうございました。

インタビューを終えて

石丸さんは連盟会長として今でも大活躍をしています。ボランティアでも看護の心を表現できる場を自分で作り、いつも自分の看護の原点を意識されている素敵な看護師であることがとてもよくわかるインタビューでした。これからも石丸さんの御活躍に期待したいと思います

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