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2016年12月05日 [会員インタビュー]

第4回 会員 加治木葉子さん 「看護職として何をしたいか、何ができるかを考えることが元気につながっていく」

横浜赤十字高等看護学院卒業。横浜赤十字病院、神奈川県立がんセンター・同循環器呼吸器病センターに勤務。神奈川県立看護教育大学校「看護管理コース」担当教員、 横浜市立みなと赤十字病院看護部長を経て横須賀市立看護専門学校副校長に就任した。

第4回ブログ画像
大先輩へのインタビュー
看護を褒められ、赤十字で受けた教育に誇りを感じた

濱田:加治木さんの看護師人生の中で、一番印象に残っているのはどの時代なのですか?
加治木葉子さん(以下、加治木・敬称略):40年の長い看護師人生のなかで「いつ」というのは難しいのですが、強烈な印象を受けたのは、神奈川の県立病院に就職した時の事です。私は赤十字の学校を卒業してそのまま横浜の赤十字病院に就職し、そこを3年で退職して、神奈川県の県立病院に就職しました。学校の先輩ががん患者を中心に医療をしている病院にいるのを知り、がん看護に興味があっての選択でした。そこでは、赤十字病院と風土が全く違って、衝撃を受けました。赤十字では看護学校の生徒がそのまま病院の看護師になることが多く、みんな同じ技術を持っていたのに対し、県立病院では個々の看護が違って、いろいろな看護のやり方がありました。それについて私は「なんで?」と怒りにも似た感情を覚えました。しかし、私が赤十字で培った看護をしていたら、その時の師長さんから「やっぱり赤十字はきちんとしているわね」って言われたんです。そうしたら、怒りにも似た感情が和らいで、モチベーションも上がり、その後県立病院で長く仕事をすることになりました。それが一つの転機でした。
濱田:赤十字の教育を受けた加治木さんが、赤十字の誇りを改めて感じた体験だったのですね。
加治木:そうですね。その後、教員養成課程の教育を受け、県立の学校に教員として配属されました。その時の経験もまた、私の転機だったかもしれません。私は、学生時代はそれほど成績もよくなく、優秀ではありませんでした。教員として、学生に看護を教えるようになってから、「そうか、看護ってこういうことなんだな」という感じで、看護観が熟成されていきました。気づくのが遅いのかもしれませんけど(笑)。そうして5年関教えた後、臨床に戻り看護部付きの教育担当や病棟師長を経験しました。その後は、県立の看護継続教育施設であるの看護教育大学校の「看護管理コース」を担当する教員になりました。
濱田:ずっと教育だったのですね。
加治木:そうなんです。主任や師長という中間管理職の教育を支援する立場になると、今度は「管理職ってこんなことを考えているんだ、こんな役割があって学んでいるんだな」と感じ、また勉強になりました。

無意識に周りに良い影響を与えていた師長時代

加治木:看護管理コースの教員をする前、臨床に戻り県立の病院に師長として勤めました。そこでは、病院によって違う文化を感じることができました。私が配属された病棟では、感染症の患者を看護していましたが、一部に患者中心ではない看護ありました。ただし、それは悪気があってしているわけではなく、私が「こうしよう!」と話すと、スタッフは行動を変えることができたのです。そのことから、職場の文化や風土って大事だなと思いました。勉強しよう、新しいことを取り入れようとする風土づくりというのは本当に長い時間がかかるものだと思います。
濱田:それで、その病棟の職場風土は変わっていったんですか?
加治木:ええ、私が勤めていた4年間のうちに、スタッフの不満や文句がだんだんと少なくなり、カンファレンスで話し合われる内容が変わっていって、患者に必要な看護を考えるようになっていきました。そして、看護研究もするようになりました。最近になって、スタッフが集まって同窓会を開くようになったんです。今でもまだ「婦長さん」て呼ばれるんですけど(笑)。その時にスタッフと話をして、私がいろいろと影響を与えたと言われました。当時は意識していなかったのですけどね。
そのころ、感染症で長期間入院していていろいろな事情があり、好きな食べ物も食べることができない患者がいました。そんな時、その患者が私に「ラーメン食べたい」って、ポロッと言いったんです。私はスタッフみんなと話し合いました。しかし、その時のスタッフの答えは「規則だから」「1人の患者を特別扱いできない。不公平だ」というもので、説得できませんでした。それで、私は「分かった。今回は私の決断で私がラーメンを食べさせる!」と言って、断行したのです。患者は喜んでくれました。本当は、患者の個別のニードにどうやって応えていくかっていうところまでカンファレンスで話し合えればよかったのですが、師長としてそこまで持っていくことができませんでした。
その時のことを、同窓会で再会したスタッフが「あの時婦長さん、私に『それでいいの?』って、言いましたよね。あれ、ずっと胸に残っているんですよ。」と言ってくれて…スタッフの心には届いていたんです。また、私が意識していなかった一言で退職を思いとどまって、今では認定看護師になって大活躍している看護師もいます。
濱田:いろいろと無意識によい影響を与えていたのですね。
加治木:そうなんです。そんな感じでしたから、病棟を異動することになった時、そのころの副看護部長に「これまでは人柄で何とかなったけれど、これからは実力で勝負しないとだめよ。」と言われました。
濱田:え〜何だか、イメージと違いますね。
加治木:そうかもしれませんね。年の功かな。振り返ってみると、必死でしたし、大事にしていた看護もありましたけが、無意識にしていたことが多かったと思います。管理研修も受けていなかったから分からなかったんです。その後、看護管理コースを担当する教員になって、やっと「そういうことか」って感じられたかもしれません。私って、いつも後づけの学びなのです。

教員から再び臨床へ〜新病院開設で怒涛の日々に

濱田:管理研修で一番印象に残っていることってなんですか?
加治木:ナイチンゲールの『看護覚え書き』でしょうか。研修に来ている師長や看護部長さんたちと一緒に学んで…時代が違うから医療は違うけど、看護は同じ。そして、看護をするために、何をどう管理するかということを学んだのです。
濱田:看護の原点ですね。管理職を育てるということは、加治木さんにとってどんな感じだったのですか?
加治木:管理研修の時は一緒に学んでいるという感覚でしたから、管理職を育てたのは看護部長になってからですね。看護教育大学校に8年在籍して、臨床に戻って副部長として1年間勤めた後、赤十字病院の看護部長に就任しました。就任1年目に医療機能評価を受けて、1年後の2005年4月には「横浜市立みなと赤十字病院」として開業することが決定しました。それからは怒涛の日々で、1年間で病院の引っ越しと新しい体制づくりをして、さらに、病床数が2倍になり、看護師も倍以上に増やさなければならなくなりました。結果的には開設に間に合って、新卒看護師を100人、既卒看護師を140人採用することができました。
濱田:既卒看護師140人って凄いですよね!
加治木:全国の赤十字病院(91施設)にリーダー層の看護師の派遣を依頼し、合計70名の看護師を派遣してもらったんです。グループメリットのありがたさを実感しました。
そうやって、開設にこぎつけましたが、その後の看護師教育は大変でした。新卒新人看護師が1病棟に7〜8人配属となり、病棟も増えたため師長も足りず、係長が病棟責任者として管理することもありました。3月31日に旧病院を閉めて4月1日に新病院オープン…と間ガなく、引っ越しも大変でしたし、同時に紙カルテから電子カルテに一気に変えなければなりませんでした。病院内で電子化するだけでも大変なのに、病院の場所と規模が変わり、しかも旧病院の運営をしながらと、すべてが同時進行でした。本当にみんなよくやってくれました。その中では、いろいろことがあったんですよ。でも、すべてがうまく収まっていったのです。
濱田:何かに守られていたのかもしれませんね!
加治木:そう!みんなでそう言っていたんです!運営が始まってから一番大変だったのは、新卒新人看護師の教育でした。スタッフは、新しい現場で自分も慣れるために大変なのに、新人の教育もしなければなりません。どんどん疲弊感が強まっていきました。だから、定期的に労うためのお茶会を開き、スタッフの話をよく聞いて、本当によくやってくれているというフィードバックをし続けたんです。そして、2006年に入院基本料7対1が始まったことで、全国の赤十字病院から「派遣した看護師を戻してほしい」という予定外の要請があり、入職してもすぐに辞めていくという離職率の高い状況になりました。ただ、そうした看護部としては危機的な状況の中でも、看護師の教育は継続しました。すると、それらの教育の成果は「看護研究発表」の内容に表れてきました。初めは看護基準書類やマニュアルをつくらなければならない状況だったため、そういう内容に影響された研究テーマが多かったのですが、3〜4年目には「看護」の中身がテーマになってきました。さらに5〜7年目くらいには「チーム医療」、そして、「在宅」に…と変化していきました。

やはり師長の働きが大事〜看護感をしっかり持ち、スタッフを育ててほしい

濱田:看護研究に人材育成の結果が表れていったのですね。
加治木:そうなんです。そうした変化は、やはり看護師長のスタッフを管理する力に支えられていたと思います。現場でスタッフ一人ひとりに「それでどうする?」「あなたはどうしたいの?」と絶えず問いかけていました。そういうことが、離職率の低下にもつながったのです。
濱田:現場の師長って、やっぱり大事なんですね。
加治木:本当に。師長が「スタッフに嫌われたくないから、嫌なことは言わない」などと思いながら仕事をしていると、看護も変わらないし、離職も減らないのです。それは明確でした。
濱田:師長に対する教育はどうしていたのですか?
加治木:う〜ん。これがまた意図的ではないのです。目標管理はしていましたが、管理研修にも出せませんでしたし。でも、看護学校の教員経験を持つ師長が多かったので、スタッフへの教育的なかかわりが上手で、成果が上がっていきました。師長たちに助けられましたね。このみなと赤十字病院での7年間が、看護師人生の中で一番必死に働いた時期です(笑)。よいこともありましたし、嫌な思いもしたこともありました。「私が部長じゃない方がよいのではないか」と思ったこともありました。
そんな時、他院の看護部長さんとお会いする機会があって、思わず愚痴をこぼしたことがありました。その方も新しい病院を立ち上げた経験があって、数年間はとても苦労したそうです。「でも、頑張って教育していれば、4・5年たつとジワーッとその成果が出てくるから、楽しみに待っていてごらん」と言われ、涙が出そうになりました。その後、さっき言ったように看護研究の内容に変化が起こり、「ジワーッと教育成果が出てくる」という話はこういうことなんだ、と思いました。それで、7年間頑張れたわけです。管理は教育が大事だと実感しました。
濱田:凄い7年間だったのですね。今は、少し楽な気持ちで副校長をされていますか?
加治木:そうですね。自分の原点でもある教育現場で働きたいと思いのとおりですし、やっと、「看護ってこういうことよね」と言えるようになった感じがします。今は、次世代の看護師を育てて、未来に向かって話をしている感じです。
濱田:では、最後に現役師長へのアドバイスをお願いします。
加治木:やっぱり、人を育てることを大事にしてほしい。そして、看護観を持ってほしいと思います。それを伝えることができれば、きっとスタッフが育っていきます。スタッフの思いを素直に感じられる感性と、褒めるために褒めるのではなく、素直に「凄いね。いいね」と感じたことを伝えられる師長が好ましいですね。スタッフはいろいろなこと、よく分かっているし、師長が勇気を出して話をすればきちんと伝わるのです。

インタビューを終えて

 今回は、加治木葉子さんにインタビューさせていただきました。加治木さんのお話から、管理職に必要なのは、管理の知識やスキルだけでなく、看護観を明確に持つことであるということ、その実現のために必死になって進めていれば、自分のしたい看護が実現していくことを理解しました。教育と管理の力を併せ持ちながら、本質的な人間性を活かして看護人生を歩んできた加治木さんの思いの詰まったインタビューでした。

この記事は日総研出版のナースマネジャーに掲載したものです。日総研さんのご協力のもと、ホームページへの掲載が実現しました。


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