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NPO法人看護職キャリアサポート
セカンドキャリア支援事業

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2017年01月13日 [会員インタビュー]

第5回 会員 板谷美智子さん「目指す保健師活動に必要なのは、兵隊ではなく司令官のポストでした」

NPO法人看護職キャリアサポート 濱田安岐子
インタビューを受けて頂いた方 板谷美智子さん
(現公益社団法人広島県看護協会長、元・広島市社会局理事)

広島県出身。1966年国立京都病院附属高等看護学校卒業、1967年広島県立広島看護専門学校公衆衛生看護学科卒業。同年4月広島市東保健所保健師として就職。中保健センター長、社会局理事など38年間保健衛生行政に従事。2005年3月広島市退職。2006年6月公益社団法人広島県看護協会副会長就任。2007年6月同協会会長に就任し、現在に至る。

第5回
保健師の自律した活動を知り「保健師になろう!」と決意

濱田:板谷さんはなぜ、保健師というキャリア選択をされたのですか?
板谷美智子さん(以下、板谷・敬称略):私が高校3年生の冬に叔父が入院し、お見舞いに行った時に出会った看護師さんの白衣姿がとってもかっこよく見えて、京都の看護学校を受験したんです。大学受験の前に合格発表があり、ナイチンゲールも知りませんでしたがそのまま入学しました。保健師になったのは看護学生の時の保健所実習で「保健師は自分でさまざまなデータから地区診断をして、業務計画を立てて家庭訪問等を実施している」と聞き、「凄い!」と思ったからです。
その時代、看護師の仕事は医師の診療の補助という考えが強かったのですが、私は自分が納得できないと実行できないという性分だったので、保健師が自分で考えて地区診断、問題解決という自律した活動をしているのを見て「よし、保健師になろう」と。そして、思い立ったらすぐ行動、保健師になり広島市に就職しました。
濱田:では、看護師としての臨床経験はなく、保健師として地域でご活躍されていたのですね。
板谷:そうです。でも、今の私があるのは看護学校のおかげです。学生時代は大変でしたが、楽しくもあり、私の看護の原点が築かれたと言っても過言ではありません。ちょうど60年安保の時代であり学生運動が活発で、全国の看護学校もその真っただ中にありました。その中心的役割を担っていたのが京都の看護学生で、全国で実習ボイコット運動などもありました。教務主任からも「学生運動が激しいので、身の安全のために1人で外出しないように」と言われましたよ。しっかり外出しましたけど。
その時私は国立京都病院附属看護学校の学生で、自治会の執行委員長でしたが、「看護師になるためにどうしても実習は必要である。厳しい環境でも学生が看護師のお手伝いさせられているとか、搾取されているとは考えられず、実習を大事にしたいのでボイコットはしない」という方向性を打ち出しました。今考えても、当時の国立京都病院では看護の自律を目指し、看護師の皆さんが凄く輝いていました。偶然入学した看護学校がとてもよいところだったんです、私の運の強さですかね(笑)。
濱田:大変な時代だったのですね。
板谷:そうですね。社会が変わる、世の中が動いているエネルギーが実感でき面白かったです。

保健師としての役割を果たすため、行政の中でポストを獲得

濱田:では、保健師時代に一番力を発揮したのは、どういう時でしたか?
板谷:やっぱり、広島市役所(本庁)に行った時かな。市民の健康課題解決に対し行政の果たす役割を仕事の上で体験でき、政策立案から予算の獲得、人の確保まで目からうろこでした。それまでどれだけの時間を無駄にしたことかと。
濱田:初めての保健所実習で体験した感動がつながっているのですね。
板谷:そうですね。しかし一方で、学生の時保健師教育において行政の役割をきちんと学べなかったことをとても残念に思いました。「保健師は地域住民と共に」と錦の御旗のように言われますが、行政の仕事は地域住民の健康生活と安全を守るための仕事でしょう?ということは、保健師の地域住民に対する保健指導は個から線、そして面へと健康課題解決のために施策化を進めるということです。つまり、施策のための制度設計や予算、人事を進めることのできる本庁の仕事ができなければ、保健師としての役割を果たせないということになります。
もちろん、地域で住民と共に事業を進めることは大切ですが、権限と責任の伴う管理職にならないと事業化もできず予算も取れない。私は保健師としての立場や権利を守るために、労働組合にも入り活動もしました。しかし、自分の考える保健師活動のためには、兵隊でなく司令官として、本丸本庁の中でポストを獲得する必要であると考えるようになりました。
濱田:ポストってどうやって獲得するものなのですか?
板谷:私たち広島市の保健師は、とにかく本庁の行政事務ができるポストに保健師を配置してほしいと言い続けました。そして、本庁に配属された保健師は頑張って係長になり、課長補佐になり、課長になっていきました。結果的には組合運動ではなく、実績を積み上げながらポストを得ていったんです。そうしたら、ポストが上がるたびにちゃんとした仕事をするから、「保健師は力がある」という評価を受けられたのです。
住民の健康課題の解決には施策化が必要です。しかし、残念なことに学校ではそういうことは具体的に教育されませんでした。ですから、昔は住民のために草の根運動的な保健指導を行うしかありませんでした。ですが、1軒1軒家庭訪問だけをしていても、住民の健康課題の解決は困難で、施策化し予算をつけ、人をつけなければ、効果的なことはできないんですよ。だからこそ、保健師が行政で管理職になる必要があったのです。ただ、私が就職したころは、行政で保健師が管理職になることは夢のまた夢でした。そのため行政組織の中で下から順にポストを獲得していかなければなりませんでした。
濱田:そうか、行政の中で職位が上がっていかなければ、本当の意味で住民の健康を守るために保健師としてやりたいことはできないということですね。
板谷:そうです。そしてそれは、保健師が保健所で働いて、仲間うちだけで通じる言葉で仕事をする限り不可能だと思います。保健師が行政で保健医療の専門家として行政事務を学べば、鬼に金棒。生き生きと楽しく仕事ができますよ。私は精神保健福祉センターで課長になり、次に保健センター長として部長職を務めました。その後、ちょうど女性登用が叫ばれはじめ、広島市では女性で初めて局長級である理事に就任しました。

看護管理者が変われば看護は変わる

濱田:凄いですね!ご自分では職位が上がっていったことをどう思っていらっしゃいますか?
板谷:私は管理職が向いていたと思います。自分で動くよりも人を活用する方が上手だから(笑)。本庁に行ってビックリしたのは、優秀な人がたくさんいること。優秀な人っていうのは不思議に皆さん人柄がよく、助けてくれますね。私がやりたいと思ったことを実現するためのウルトラ技を提案してくれることもありました。
また、新規事業は予算と人が伴わないとできませんが、予算確保のためには明確な根拠が必要で、税金を納得のいく予算として活用する必要があります。そういうことを、どのような考え方で予算に挙げていくのかについて助けてくれる人が周りにいたんです。仕事はハードでしたが、優秀な事務職の人と一緒に働く醍醐味を味わいました。大きな声で言えませんが、今でもこの時の人脈は活用していて、看護協会長のシンクタンクとして活躍いただいています(笑)。
濱田:看護師も同じですね。管理職になっていろいろなことを実現しなければいけませんから。
板谷:そうです。私が看護協会の会長になって言い続けていることは「看護管理者が変われば看護は変わる」です。看護協会は専門職としての生涯教育研修には力を入れていますが、組織人材の育成は遅れていると考えます。織物も経糸と横糸が同じ力で織り上げられてよい織物となります。看護職の専門性、組織人材のバランスがきっちり取れて初めて目指す看護へと向かいます。看護協会が実施しているいろいろな研修の結果として、現場が変らなければ何の意味もありません。
医療現場の管理職は、看護部長も看護師長も疲弊していますよね。看護協会は看護管理者が活躍するために支援を強化し、組織人材の育成に力を入れています。看護管理者研究会、看護副部長研究会、看護師長研究会を実施し、また新任看護管理者交流会、新任看護師長研究会はシリーズで開催し、フォローアップをして同期の仲間づくりからネットワーク化を目指しています。その中から、看護の課題解決へ向けて自分たちで自律して行動できる人材が誕生することを期待しています。
濱田:ファースト、セカンド、サードの管理研修はありますが、実際に継続的なフォローアップをしながら研修を進めるというのは、効果がありそうですね。リーダーシップを発揮していくための力になりますよね。
板谷:そうなのです。始めてみたら、看護部長は多くの新任看護師長を研修に参加させています。
濱田:効果があったのでしょうね!相談する相手がいるというのは、よいものですよね。
板谷:そうです。それと、相談する相手の選び方も大事ですね。
濱田:そうですよね。一緒に学んだ相手に相談できると、進む方向性が確認できますよね。
それでは、これから先を見据えて、現役の看護管理者、そして、これから看護管理者を担っていく方達にアドバイスをお願いできますか?

看護管理者は外交官であれ。そして、自立した看護師の育成を

板谷:私が看護管理者に言いたいのは「外交官であれ」ということですね。看護部のトップなのだから、他機関との連携や他部門との調整、交渉も必要。今後はより一層、地域との顔の見える関係を築く力が求められます。
それと、人材育成をしっかりすることです。人を育てなければ看護は変わりません。年功序列の発想はもうやめて、その人その人の適性を見極めて役割を与えていくこと。看護管理者として、歳の順ではなく、人を見る目を養い、みんなが納得できる説明をしなければならない。なぜ、その人はその役割を与えられているのかということを説明する必要があるのです。
濱田:人を見ると言っても、一人ひとりのことは見えませんよね? スタッフはいっぱいいますし。
板谷:それがですね、組織が大きくなればなるほど、人は見えるものなのです。いろいろな人から情報が得られるようになるから偏りません。もちろん人から情報を得ると言っても、看護管理者は自分の判断基準を明確に持ち、きちんと責任を取ることが大切ですね。その行動を部下はしっかり見ていますよ。
そして何よりも、自分の看護観をハッキリ語れることが大事です。これはいつも看護管理者に話すことですが、スタッフ全員に「私はこういう看護をしたい」と伝えるべきです。看護を語れないのに看護管理者になってもらっては困ります。だって、それがその組織の看護理念になるのですからね。
濱田:看護管理者の看護観が看護理念なのですね。
板谷:そうです。そして、人材育成では看護協会の研修を生かしてほしい。院内の教育プログラムに看護協会の研修を組み合わせて、どういう看護部にしたいのかを考えながら、認定看護師などの人材も育成する。そうすることで、看護理念が実現していくのです。看護理念の実現に向けて、計画的に人材を育成していくことができる看護管理者が育ってほしいと思います。貴重な研修に参加するのですから、それを生かせる人を研修に参加させてほしい。誰かの指示を待つ人ではなく、自律して判断できる看護師を育ててほしいのです。

看護協会を会員にとっての「母港」にしたい

濱田:それでは、県の職能団体の長としての一番重要な役割は何であると考えていますか?
板谷:いつも、タイムリーに看護現場で何が起こっているか情報収集・分析をして、課題解決のため職能団体として何をすべきかを見極め、行動すること。また、看護行政の主務官庁である県行政との緊密な連携が重要と考えます。今では、看護協会の会長をするために行政に勤めていたように思いますよ。県との交渉をする時にその経験がとても役立っているのです。
県が出来ることは何か、そして、誰と交渉すればいいのかが分かり、県における施策化を効果的に進められますね。実際に、新人看護職員研修も5事業全てが予算化され、県と一緒に進めることが出来たのです。私の看護協会会長としての夢は、看護協会が会員にとっての母港となることですね。いつでもエネルギーが充填でき、看護への誇りと喜びが語り合える場であってほしいですね。
濱田:それでは最後に、板谷さんはフリージア・ナースの会にご入会いただいたわけですが、この会で何をしたいと思っていますか?
板谷:大島さん(本誌Vol.16、No.6参照)と一緒に、何か楽しいことをしたいかな(笑)

インタビューを終えて

 今回は、板谷美智子さんにインタビューさせていただきました。板谷さんの現役の看護職に対するお話から、保健師も看護職であることを実感しました。また、保健師の活動は地域住民の保健という公的なものであり、施策として進める必要があるために、保健師が行政の中で管理職として力を発揮する必要があるのだということも理解できました。
そして、それは看護師も同じであり、自分がしたい看護を実現するためには管理職になる必要がある。いずれ、看護師が病院長になることを本気で望んだとしたら、実現できる時代が来るのかもしれない。患者に必要な医療を看護の視点から実現できるのではないかという夢を描いたインタビューでした。

この記事は日総研出版のナースマネジャーに掲載したものです。日総研さんのご協力のもと、ホームページへの掲載が実現しました。

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